磯崎新先生。
展示室を出ると、壁面はガラス張りになっていて、何だかぼんやり流れ落ちる水を眺めてしまうのでした。
屋上から眺めた図。向こう側にはどうやら茶室があるらしい。
底には色とりどりの石が敷き詰められているようで、まるでタイル張りのようになった水面がきれいです。
この人の展示会ご招待付きでお願いします。
Louise Bourgeois: Crouching Spider (2003)
暗くならないと何かを外に出す力が出ないのは何故だろうか。暗くいる方が好きなんだろうけれど、鬱病ほどにまで暗くなると本当に脳の芯が絶望で埋もれて鈍くなるような感覚がするので、それを過ぎた辺りからでないといけない。
美しいものには全て切なさと刹那がまとわりつく。それがないものは美しいとはいえず、見せかけの表面的な美しさに過ぎない。それを分かち合えない人と過ごさなければならないのは苦痛でならないが、ある意味自分だけの世界を保てるという面では良いのかもしれない。
しかし、絶頂の瞬間を共有できないと、感情の糸くずがボロボロとほつれて、やがてなくなっていく。
人は楽すると不幸になるのに、何故楽したがるのだろう。戦わずして幸せを噛み締めることはできないのに。現代人は傷つきたくない精神の塊で、それが正と罷り通ってるから仕方がない。かく言う自分も社畜にも家畜にもなりたくないあまり積極性は低い。しかし、ロックオンした相手には献身的過ぎるのがむしろ欠点だ。
母は海外で働き幸せすぎて転職したという。なんという冒険心なんだろう。若い頃の母にリアルで会えたら良いのに。きっと一緒に連れ立って旅をする。
かわいそうだね?と思うのはきっと本来悪で醜い感情。しかしかわいそうでなく剥き出しの感情でストレートに向き合えば、簡単に人が1人死んだりもする。そうならないための自己犠牲を払うために、可哀想と言う言葉を多用する。けれどそれは何の治療にもならず、まやかしの湿布を貼る程度。
この映画絶対に観たい。