#lemofoto #tomoshibito
トグルスイッチが胸にふたつ付いている人がいた。
AIやさしいな
頭の声のスピードをどうやって一時停止して拾い上げてるんだろう
コンビニ人間をやっと読んだ。 少しめくっただけで読みたくなり、買ってすぐ一気に読んだ。 大人になってからのわたしはなかなかの面倒くさがりで我慢に弱いので本の好き嫌いも激しくなった。 だから冒頭でなんとなく読む気になれないことばかりだった最近ではめずらしいことだった。 大人になってから多いことだけれど、その時々に強く思っている事に関連した作品に出会う機会が多い気がする。この作品を読みながら、普段の自分の考えと重ね合わさずにはいられなかった。 ヒロインとは考え方は違うけれど、根底で同じ部分も多い気がした。 そして、ヒロインのように細胞レベルで生きたいとも思った。 そのようにして生きられるのなら、仕事がコンビニでも何でもいいのだ。大多数と同じ人生を楽しむのもいい。 しかしそんな生き方で一見華やかに見えても、異質なものを排除する者は、人生を本当の意味で生き得ていないのだ。 ステレオタイプ、義務教育、メディア、ネット、そういったものによる刷り込みでインスタグラムよろしく充実して輝いた人生を歩んでいると勘違いしているだけなのだ。 インスタグラムで華々しい暮らしをアピールしていようがなかろうが、本当に輝いた生き方をしている者はみな、異質をありのまま受け入れることができる心を持っている。そう考えると、自分もこれまでの人生において何度も相手に「普通」と言う名の価値観を押し付けていた。 その方が相手のためになると思い込んでいたのだ。 細胞レベルで相手に声をかけるのは良い。 しかし自らの芯もなく、どこかで聞いた言葉を無感情に浅はかに発するのはもはや犯罪だ。 何のために生きているのか。 何が普通なのか。 変わってしまった相手を元に戻そうとすべきなのか。 憑霊や洗脳ならば、それは本人の意識が抑圧されているため引き戻してあげるべきだ。 そこにしっかりと脳みそが存在しているから。 しかし、なくなってしまった脳みそはもう2度と元には戻らないのだ。 けれども、本人は本人なのだ。今の本人がもう一度「生まれた」のだ。 ヒロインは仮初めの幸せを噛み締めている人々よりも、よほど熱く生きていると感じた。 全身で音を聞き、細胞で感じていることに全力を傾けているのだ。 それは本人自身がもう一度生まれた、と感じることができたからこそだろう。ヒロインが幼少時から自己を抑圧するよう徹底していたのは、決して己の身の保身ではない。 家族を悲しませたくなかったからだ。 ヒロインが「コンビニロボット」のような存在であったならば、もっと傲慢で、無感情で、諦めた負の感情が優っていただろう。 しかしヒロインは、同僚やお客への気遣いも抜かりのないコンビニ人間、である。 たとえ名声や子孫を残さなくとも、人間の宿命は全うしている。
In Japan, many are intrigued solely by appearances of foreigners. Even before a single word is uttered, expectations rise unilaterally, envisioning the promise of new cultures, ideas, and information not typically found in Japan.
Yet, upon speaking in Japanese, a faint tinge of disappointment often flickers alongside surprise in their eyes. Hence, they often liken it humorously to talent who can't speak English, eliciting subtle laughter.
"Your father is a foreigner? And your mother? Japanese, huh? So where is your father from?" "Lebanon... where's that again? Ah, I see." "You have an older brother? He must be really cool." "Oh, your brother is Japanese? I see." Knowing this, I've never been to Lebanon, my father separated from my mother when I was five, and my brother, my half-brother, has eyes as thin as bean sprouts, so there's no thrilling revelation as expected. Thus, I tend to avoid initiating introductions about myself. Simply introducing myself often leads to others feeling obligated, disappointed, or finding me devoid of a character like a celebrity, leaving me tired of being myself without a set persona. I often find it impressive when I can strike up a friendly rapport with the bartender at a drinking spot.
Despite presenting a positive front, deep down my mind's core resembles a stubborn mass of negativity like a pineapple, and I have no intention of trying to captivate a man by portraying myself as an elegant woman.
While I fear gaining weight, I seek connection based on mutual feelings rather than appearances.