Detroit: Become Human をプレイした。評価が高かったので期待していたのだが、陳腐なストーリーテリングがリッチなグラフィックと QTE でごまかされているように感じ、ゲームというメディアの限界を示しているようで残念だった。
ストーリーはシンギュラリティの話をしたいのか公民権運動と移民問題の話をしたいのかどっちつかずになっている印象がある。シンギュラリティの話だとするとあまりにも古臭く SF 設定も雑すぎるし、公民権運動と移民問題の話だとすると、人間の持つ「差別」に対する理解があまりにもナイーブすぎて評価できない。
おそらくクアンティック・ドリームは「共感」と「人間性」を強烈に結びつけており、「共感」能力を持つ人間は正しく「共感」することができれば「差別」なんてするはずがないと信じていると思われる。では「共感」能力が低い人間は人間ではないと言えるのだろうか?ホロコーストの被害者の中には精神病患者もいたことを忘れてはならない。「共感」することができない存在はどう扱えばいいのか?反乱を起こしたのが生理的嫌悪感のある見た目のアンドロイドだとしたらどうだろうか。人はそれでも「正しく」判断できるのだろうか。
「差別」を根底に置いているにも関わらず、作中のステレオタイプが強烈なのも評価できない。作中の悪人は太った白人男性だし、嫌な感じのキャラクターはドイツ系・東欧系(クアンティック・ドリームはフランスを拠点にしているデベロッパーである)のファミリーネームを持っている。ご丁寧に「高貴な野蛮人」ポジションのキャラクターまで用意されている。
おそらくこのような瑕疵を指摘されたとしても、製作サイドはシステムやコストの都合上という言い訳をするだろう。現にノースだけ恋愛対象にできる理由はそのように説明されている。(個人的にここはプレイしていてかなり気になった場面でもある。一周目のプレイ中、ノースはあまりにも好戦的すぎるので距離を置きたかったのだが、半強制的に恋人にさせられたので不快だった)
正直、映画や漫画、小説ではこのレベルのストーリーテリングは商品として受け入れられないだろう。それがゲーム性でカバーできてしまうところにゲームが扱える複雑性の限界が見えてしまったように感じられた。最近のタイトルだと The Last of Us Part II でも似たような感想を抱いた。ストーリーとしては完全に破綻しているが、アクションゲームとして出来が良すぎるため、受け入れられ評価されてしまっている。逆に、ゲーム性さえ良ければ評価されるという点がゲームというメディアの面白さとも言えるが、ならばメディアとしてのゲームの主戦場は莫大なコストがかかる AAA タイトルからインディーズゲームに増々シフトしていくだろうと予想する。
クアンティック・ドリームが政治性を帯びたゲームを世に送りたいのであれば、尚更厳粛な読み解きが必要であると思っている。そして残念ながら Detroit: Become Human は政治性を帯びたゲームとして評価するに値しないと考える。その一方で、ネットではナイーブに絶賛されている記述を多く見るので気になった次第である。
- "my beloved
does not hear
but I keep screaming
and night and day
and night and day
I wait and search..." ⭕️ —
Been struggling with art lately, have this in these trying times 🙏
Ayyyy thats so true.
Everyone: oh no DBH Android-human relationships are so sad because humans die and machines don’t 😞
Me, an engineer, knowing no tech company would create immortal machines because that would eliminate their client base:
I'm not good at drawing humans, but I tried :)
Another character for my DBH collection. 😊
another piece for my Detroit become human collection. 😊
I just had to but it was a bit difficult for me 😃