Hania Rani@神田スクエアホール、I’ll Never Find Your Soul を生で聞けてよかった。ただオールスタンディングの意味があったのかどうかはよくわからなかったし、小島秀夫監督が「少し足が疲れた」と言っていたので次回はぜひ指定席制、保険としての椅子があればいいと思う。
「人々はばかげたユーザー名を作り、匿名でTumblrにジョークのスレッドを延々と作っていた。」楽しそうだなあ
春の風の瑞々しさは、あたらしい果物を噛んだ時のそれに似ている。ほんの少し雪が降ったかと思えば、瞬く間に気温は上がり、そうかと思えば雹が降ってみたりもする。春はもうこの土地に戻ってきたのだけれど、まだ荷ほどきをせず、生きている者たちの様子を観察しているのかもしれない。強い風を吹かせ、時折はまた寒気のために道を開ける。二月の終わりにさえ、雪が降ったことはあったのだから。
ところで、今日が節分というのは人に聞くまで知らなかった。何がなんでも二月三日というわけではなく、立春の前日のみをそう呼ぶとは!
帰りがけにスーパーを覗くと、みんな恵方巻をカゴに入れていた。関東で恵方巻を食べるようになったのはここ十数年程度ではないだろうか。しかしそう考えてみると、イベントとしてすっかり定着したのだなあとも思う。いずれにしても献立に悩む必要がない夜というのは大変ありがたいものだ。それだけでも歳神の方を向いて、御礼を言いたくなるものである。
最後に書いた日記の内容を覚えていない。特段書くこともなく、というよりも何かを誰かに知らせることの意味を全く見出せず、近頃インターネットには全然いない。前回、読書に関することを書いたかもしれない。そうか。読書は相変わらず捗っている。電車の中、寝る前、ほか。2014年に買った本が全然面白くなかったのは、続きものの2巻だったからだった。1巻を買って読んだ。痺れるほど面白かった。そういう季節を過ごしている。12月。
夏にリペアに出したカメラを久しぶりに持ち出したら、1本目で巻き上げダイヤルが回らなくなった。2回リペアに出したら同じカメラをもう一台買えると思うと腰が重い。とはいえ、買い替えるのも躊躇している。なんだかんだ十年は持ち続けてきたものだ。愛着もある。年数が経てばガタが来るのは仕方のないことで、その度に治療が必要なのは有機物と同じだ。この頃そういう諦めを理解しつつある。とはいえ私のカメラは私より既にずいぶん長生きだし、寿命というものがあるにせよまだ当分先のことだと楽観視している。
寒くなったと人は言うが、東京は全然寒くない。そういう街をくそったれと思いながら生きている。小説を書こう。短歌を詠もう。疲れ果てているけれど、やれることをやっていく。
こちらのnoteを読んで始めてみた。一日一枚撮って貼るだけなので簡単である。何はなくともとにかく一枚撮らなくてはならない、というのも結構楽しい。絵的には地味でもチェキならなんとなくいい感じになる(気がする)のもありがたい。
挟んである写真は相田諒二さんのポストカード。季節が変わればまた違う写真にする。