年始にジョエルコーエンのマクベスを見て、とても面白かった。不吉で滑稽で、作りもののようによそよそしいのに、我が事のように生々しい。なにしろモノクロなのが良かった。黒の禍々しさが映えて、底なしに美しい。光と影。
おかげで原著を読み始めた。マクベスは岩波文庫の木下順二訳が好き過ぎてこれまで原著を読もうと考えたこともなかったが、何がきっかけかわからないものである。言い回しはやはり難しいところもあるが、それを読み進めていくのが面白い。シェイクスピア作品は現代英語訳のシリーズがあるようなので、手に入れたいなあと考えている。
”青痣が残る目の堰が切れた。家の裏、うち捨てられたオイル・タンク、一面の雑草、木の幹。人々が暮らし、去った場所。イーストは涙が涸れるまですすり泣いた。しかし、だからといって、実際には何も変わらないのだ。どんな言葉を聞いても、どんな光景を見ても、どんな思いを抱いても。筋肉のいたずらだ。涙腺が緩んだだけだ。”
Bill Beverly「東の果て、夜へ」早川書房
一昨日「ホビット 思いがけない冒険」を観終わった。終わりの方でビルボが言うこの言葉がとても良かった。トーリンがビルボを「疑ってすまなかった」と謝るのに対して言った言葉。「いいんだよ。僕だって疑っただろう。僕は英雄じゃないし、戦士でもないし、(ガンダルフの言うような)忍びの者ですらないんだからね」。これは自虐みたいだけれども、それがビルボの良さで、ホビットの偉大なところではないだろうか。
ガンダルフの仲間の魔法使いも出てきて楽しかった。サルマンはこの頃からと言うか、もともと闇に傾きそうなところがあったのかもしれないな、と今作での言動を観ていて思った。強い者が強く、それ以外はとるに足らない者、とでも考えているような。良し悪しというよりは、善というものへの認識がガンダルフとは異なっているのだろう。
さて次作は「竜に奪われた王国」である。これは六年前くらいに買ってあったのだがずっと未見のままで、ついに見る機会がやってきた。原作も同じで、今は映画を休んでこちらを読んでいる。最近一般小説を読むのがつらくて読書から遠ざかっていたのだが、久々に本を読んで楽しいと思える。今はこういうのが合っているのかもしれない。次はナルニアを読もうかなあと考えている。
自分のiPhoneを見て、イヤホンジャックがないことに今更しみじみと気がつく。かつてガラケーにアンテナがついていて、これをカラフルに光らせてみたりするという文化があったように、iPhoneを充電しながらジャックにイヤホンをさして音楽を聴くという行為は、これはこれで一つの文化だったのだと思う。イヤホンジャック廃止はそれ以前のやり方から言えば確かに不便な側面はあり、そのためにイヤホン用と充電用で二つの差し込み口がついたドックが販売されているのは当然と言えば当然だろう。しかしなんというか、この種の旧態維持が実現することによって得られる充足は、たぶんノスタルジーに似ていなくもない。
人生、いよいよネガティブな事柄しか思いつかないので何か書こうと思うのだが言語化することにあまり意味を見出せない。ともあれ正月が過ぎて良かった。休暇を他人がどう過ごしたか聞いたり聞かれたりする無意味なお喋りに巻き込まれたくない。夏と冬と年に2回もこういうことがあるのはうんざりする。人間に向いていないタイプの人間のことをなんて言うんだったかな。
モデルナ2回目を待っている。が、どうなることやら。世の中も世の中だが暑いというだけで気力が削がれるので早く涼しくなって欲しい。
ぼちぼち読書はしている。新潮文庫から出ている「銀河鉄道の夜」、特別装丁版を買ったは良いものの長らく放置していたのを急に見つけて昨日読み終えた。シグナルとシグナレスが特に良かった。いずれ花巻を旅行してみたい。
これまで自分の意見をはっきり言ったり立場を明確にすることは面倒だし、経験的に無益だと思うことが多かったのだけど、昨今の諸々でやっぱり大事なことなんだなあと思うなどしている。私の場合は積極的な意味合いより、自分を守るためというのが大きいけれど。考えの異なる者同士が互いに過剰な干渉をせず共存できればベストだと思うけれど、対立して壊れる関係ならそれもそれで構わないな、という、この一年少しの自分の変化。